「藤巻地区の都市計画公園」指定の歴史
「まちづくり活動」開始時の藤巻の様々な面の概要
2018年1月現在、藤巻町は全域が都市計画公園:東山公園の区域に含まれています。その経緯を名古屋市編集の「大正昭和名古屋市史」や都市センターの「Nuiレポート」等の記載、さらに藤巻町内の古くから残る住宅で保管されていた資料、法務局で調査した古い時代の閉鎖登記簿の記録等に基づいてわかる範囲で記述しておきます。(順次補充中)
もともと、東山公園は1926年(大正15年)1月に他の24公園とともに名古屋市の公園区域として国から指定されました。(一覧表の17以下の頁は省略しました)
ただこの時点で現在の藤巻区域(当時愛知郡天白村大字植田字植田山2番地)が含まれていたかはやや不明です。
2012年に名古屋市都市センターから報告されているNuiレポート(都市公園の歴史)では1940年ごろに東山公園区域は現在の名古屋大学のあたりが公園区域から削除され、現藤巻の区域が追加されている状況が記載されています。
この事情を考えると、その時点で追加されたと思われます。
藤巻では1938年ごろ別荘住宅地の分譲が住宅建設の始まりとされていますので、公園指定と分譲の時期関係が不明です。(別の事項で分譲については記載されています)
それらの事情を考え合わせると藤巻の都市公園区域の経緯は下図のようなものと考えられます。
前述のごとく、上記の頃は当地は愛知郡天白村大字植田字植田山2番地でした。その後天白村は1955年(昭和30年)に名古屋市と合併し、当地は名古屋市昭和区天白町大字植田字植田山となり、1962年(昭和37年)に千種区植田山、さらに1963年(昭和38年)に千種区藤巻町と改名されました。1975年(昭和50年)千種区より名東区が分かれ名東区藤巻町として現在にいたっています。
なお2011年(平成23年)現在の藤巻町の状況調査(カルテ)を名大大学院環境学研究科村山研究室で調査してとりまとめて提供していただいた資料を下記よりダウンロードできます。
藤巻町カルテ2011924
2018年時点で最新の状況に変更するべく調査または整理して改訂中です。